プロフィール
まさあき

運動大嫌い、陸上経験0、体重は最大で95kgありましたが64kgまで減量しました。
21歳から33歳まで13年間のマラソン歴。
「フルマラソンの自己ベスト」
・公認2時間38分03秒(2021/12月奈良マラソン)
・非公認2時間35分19秒(2021/3月第43回大阪フルマラソン)
記録志向のマラソンやレースからは退き、現在は二児のパパとして子育て+趣味としてランニングを満喫しています。

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マラソン大会記録2014~2017年度

大会記録
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2014~2017年度総括

一言でいうとスランプにスランプを重ねた4年間でした。それでも諦めずにマラソンを続けたからこそ今があるのだと思っています。

特に2014年に関しては人生で一番辛かったといっても過言ではありません。同時に僕にとってかけがえのない経験を積めた1年間だったと感じています。

2014年度

・2014.1.11長居公園30.943キロマラソン、30.943キロ、1.58.40、2位 (左足首外側腱鞘炎&右腸腰筋腱炎発症)

・2014.3.2第34回篠山ABCマラソン、フルマラソン、DNF(左足首外側腱鞘炎&右腸腰筋腱炎、恥骨炎)

・2014.5.18第40回洞爺湖マラソン、フルマラソン、DNF(慢性疲労、ストレス)

・2014.6.15品川大井スポーツの森大会、ハーフマラソン、1.19.13、3位

・2014.7.6第9回札幌豊平川市民マラソン、フルマラソン、2.48.39、2位

・2014.8.31北海道マラソン、フルマラソン、3.06.50、488/8688位

・2014.10.26大阪マラソン、フルマラソン、3.24.50、1104/21423位(足底筋膜炎発症)

・2014.11.09第35回都祁高原マラソン、ハーフマラソン、1.19.45、11/468位(右後脛骨筋炎発症)

・2014.11.23神戸マラソン、フルマラソン、2.50.37(ネット2.50.03)、146/13445位

・2014.12.14奈良マラソン、フルマラソン、DNF(足底筋膜炎&右後脛骨筋炎)

マラソンシーズン4年目です。思い返しただけでも辛く苦しいシーズンでした。 昨年の奈良マラソンで有頂天となり、年末年始はどんどんペース走をしていました。年明け30キロの練習大会中に左足首外側腱鞘炎、右腸腰筋肉離れをおこし、4月までは走れない日々でした。 走らない分食事を節制し、相当ストレスを抱えていたと思います。 ようやく故障が癒え始め、5月洞爺湖マラソンに出場するものの、もう心が限界でした。途中リタイアし、新千歳空港でラーメン、スイーツを暴食。

何だか自分の中で歯車が狂った感覚でした。 その後は暴食を止められず、時には食べ過ぎて吐いてしまう事もありました。走るために食べるのではなく、「食べ過ぎたから走らないといけない」という悪循環に陥り、本当に本当に辛い事が多々ありました。

7月の豊平川市民マラソンで2時間48分台を記録したのは奇跡だと思います。前々日に吐いてしまい、前日の飛行機や宿ではほぼ1日中疲れて寝ていたと思います。自分でもどうやって48分台を出したのか分からないです。 8月頃になり、母親や姉の助けを得て、少しずつ暴食が落ち着いてきました。しかしながら、悪循環は中々抜け出せないもので、10月の大阪マラソンで右足底筋膜炎を発症し、痛みを抱えながら練習を強硬したところ、右後脛骨筋炎も合併してしまいました。

神戸マラソンで必ず自己ベストを更新するため、痛み止め&テーピングをして強硬出場しましたが、自己ベストには及びませんでした。そして心身ともに疲弊し、奈良マラソンは欠場となりました。

凄く辛い事ばかりでマラソンを嫌いになり苦しかったシーズンですが、2014年を経験し乗り越えたからこそ今の僕があるのだと思います。 日常で嫌な事やしんどい事があると、「あの時ほど辛かった事はない」と思い返して頑張るようにしています。

2015年度

・2015.1.25大阪ハーフマラソン、ハーフマラソン、1.24.10、209/909位

・2015.2.1京都木津川マラソン、フルマラソン、DNF(右足底筋膜炎再発)

・2015.2.22東京マラソン、フルマラソン、3.51.44 、6845位(レース中に右腸脛靭帯損傷)

・2015.8.30北海道マラソン、フルマラソン、3.14.50、778/10017位

・2015.9.20丹後ウルトラマラソン、100キロ、13.12.29、988/1613位

・2015.11.1第19回大阪淀川市民マラソン、フルマラソン、2.54.38、23位/6333位

・2015.11.15神戸マラソン、フルマラソン、2.55.32、241/13161位

マラソンシーズン5年目です。昨年神戸マラソン以降、心身ともに疲弊し家で食べて寝てを繰り返していました。年明けには故障は癒えたのですが、体重70kgくらいまで増加していました。 そんな中無理矢理30キロ走等のペース走を再開したせいか、右足底筋膜炎が再発し、2月の木津川マラソンは欠場となりました。 ランニング自体が嫌になり、もう走るのも止めて家で暴食し、体重は75kgまでさらに増加となりました。

2月下旬の東京マラソンは前年の奈良マラソンで良い成績を残した事から、準エリート枠で推薦を受けていました。せっかくなので出るだけ出てみようと思い走ったところ、レース中に右腸脛靭帯をかなり損傷し、その後4ヶ月程故障で全く走れなくなりました。 この4ヶ月は階段を降りるのも痛かったです。

ちょうど4月より研修医として働き始め、忙しかったので、マラソンの事から少し離れて過ごしていました。 秋には神戸マラソンに出場するものの、スピードが無く思うような結果は出ませんでした。 社会人になり、仕事のストレスを抱えながらマラソンをする事の大変さを痛感していました。

2016年度

・2016.5.29びわ湖リレーマラソン、フルマラソンリレー、3.08.48

・2016.8.11グッドモーニングラン2時間走、27.5km、1.56.12

・2016.8.28北海道マラソン、フルマラソン、2.56.55、385/10604位

・2016.9.03大阪長居5000m記録会、5000m、17.57、9/31位

・2016.9.10長居公園ふれあいマラソン、10キロ、37.11、1/58位

・2016.10.9長浜市あざいお市マラソン、ハーフマラソン、1.23.49、96位

・2016.10.22長居公園ふれあいマラソン、ハーフマラソン、1.25.57、7/137位

・2016.11.6淀川市民マラソン、フルマラソン、2.59.17、39/6040位

・2016.11.20神戸マラソン、フルマラソン、DNF(右脹ら脛の肉離れ)

・2016.12.11奈良マラソン、フルマラソン、3.24.25、661位(右腸脛靭帯炎再発

) マラソンシーズン6年目です。仕事のストレスが多くマラソンをするだけの精神力が無く、「もう自己ベスト更新は難しいのかな」と思い始めていた頃ですね。 おまけに4月には左後脛骨筋炎を発症し、再び2ヶ月ほど走れなくなりました。

分岐点となったのは、5月29日のリレーマラソンでした。職場の同期で出場したのですが、そこで今の妻と知り合い僕のマラソン生活は変わりました。 今まで自分一人孤独にマラソンと向き合い、ストイックに練習してきたのですが、今の妻と出会った事で「楽しくマラソンをしたい」と少しずつ少しずつですが思うようになっていったのです。 不思議な事なのですが、日々の生活が楽しくなったせいか、自然と体重が落ち体は絞れていきました。

8月の北海道マラソン頃は体重64kgまで落ちていたと思います。パワーは無いものの、軽さでサブ3を達成出来ました。 これは「絶好のチャンスだ!」と思い、11月の神戸マラソンに向けて本腰を入れて練習し始めました。

しかし現実は甘くないですね。練習を積み重ね過ぎた結果、右脹ら脛の肉離れを発症し、神戸マラソンは無念のリタイアとなり、またしても自己ベスト更新は出来ませんでした。 さらに悪循環は続きます。神戸マラソンでのリタイアがショックで暴食をしてしまい、再び体重は68kg程まで増えてしまいました。その状態で奈良マラソンに強硬出場したため、右腸脛靭帯炎も再発し、不甲斐ない年末を送ったのでした。

2017年度

・2017.1.29大阪ハーフマラソン、ハーフマラソン、1.26.50、313/1015位

・2017.2.19京都マラソン、フルマラソン、3.17.56、567/11849位(右脹ら脛の肉離れ発症)

・2017.2.26東京マラソン、フルマラソン、DNF(右脹ら脛の肉離れ) ・2017.8.27北海道マラソン、フルマラソン、3.27.15、567/11849位

・2017.10.1大阪30k、30キロ、2.03.22

・2017.11.5淀川市民マラソン、フルマラソン、2.50.56、19/5186位

・2017.11.26大阪マラソン、フルマラソン、2.50.53(ネット2.50.28)

マラソンシーズン7年目、社会人3年目です。 腸脛靭帯炎のリハビリやケアは学んでいたので、2週間程で復帰出来ました。東京マラソンに向けて練習を積んでいた矢先、練習のつもりで出場した京都マラソンで右脹ら脛の肉離れを再発させてしまい、東京マラソンは無念の欠場となりました。 本当に悔しくて泣いてしまったのを今でも覚えています。

またしても暴食の罠に陥るのかと思いましたが、今の妻が支えてくれたおかげで、東京マラソンの代わりに東京ディズニーランドで遊んで帰り、欠場のショックは随分癒されました。

4月からは基本に帰り、まずは怪我のしないように30キロ、40キロのLSDを何度も行いました。春夏で20本程走ったと思います。まだまだ体重は68kg程ありましたが、「しっかり食べてしっかり走る」というマラソンにとって大切な事がようやく解りかけてきました。

本命の大阪マラソンですが、5日前に左脹ら脛の軽い肉離れをおこしてしまい、またしても出場出来ないのではと不安でいっぱいでした。従来ならば練習を継続し、マッサージやストレッチをして何とか強硬出場したのですが、今回は違いました。 「僕はいつまで同じ事を繰り返すんだ」と自分自身の体と真摯に対話する事にしたのです。 肉離れをするという事は「体が休養を求めているんだ」と感じ、5日前から一切走らず、ひたすら沢山寝てゆっくりしていました。

大阪マラソン当日は体もぱんぱんで体重は67kgありましたが、不思議と左脹ら脛はあまり痛くなく、この日を迎えられた事が嬉しくてわくわくしていました。 「今出来る事をしよう」 それだけを考え走ったところ、キロ4分少し&ネガティブスプリットで走りきる事が出来ました。自己ベスト更新はなりませんでしたが、再びマラソンの楽しさを感じる事が出来ました。

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